おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

乳がんの告知から5年が経ちました

2015年5月2日、ゴールデンウィークの初日。乳がんの告知を受けました。28歳。

そこから5年。やっと、やっと、2020年を迎えました。まだ治療は続いているけれど、あのころ信じ続けた「未来」にたどり着いて感慨にふけっています。

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治療の直前、景気付けに奢ってもらった寿司

告知直後、どうしてわたしなんだろう? と思ったし、別の世界線に迷い込んだような、どこかに健康な自分がいるような、他人事のように感じていました。今となっては、乳がんステージ2aというのは、治療がつらいこともあるけれども治せる病気で、病後には仕事も趣味も自由に行うことができる、と身をもって理解しています。

だけれど、告知を受けてから1ヶ月ほどは「ほんとうに生きていられるのか?」と何度も不安に思ったし、告知から2日後に行った旅先で「もう二度と来れないかもしれない」と恐怖で泣き続けたし、時間があればインターネットで「5年生存率」と何度も検索しました。ふと、きちんと治療をすればすぐに死ぬことはないと気づいてからは、覚悟を決めて、抗がん剤治療を始めるころからは気丈に振る舞い続けていました。抗がん剤の途中であまりのつらさに泣くことがあったけれど、その後の手術、放射線、分子標的薬(ハーセプチン)、ホルモンと乳がん治療におけるフルコースをこなす中では(まだ途中ですが)、なんとか乗り越えてここまで来れました。

5年生存しても、その具体的な姿が見えていなかったあの日。たとえ生き続けられたとしても、もう仕事も、好きなことも、二度と元どおりにはできないかもしれないと感じたこともありました。でもいまの生活は、ありがたいことに、わたしの意思で仕事も趣味も家も選べ、楽しく暮らしています。

初めに診断を受けた病院で「大丈夫、治ります」といった主治医の言葉を励みにし、同じような病気を克服した同世代の著名人を見ては自分を奮い立たせ(同時に亡くなった方を見ては気を落とし、だけれど悔しさをバネにしようと思い)、友人・知人からの励ましの手紙を何度も読んで元気を取り戻していました。治療を受けるだけではなく、自分の感情もケアし、家族を中心としたまわりの人たちに支えられ続けた5年間でした。

この5年は治療を中心とした生活で「生きてさえいられれば良い」と思っていたけれど、これからの5年は好きなことをたくさんやっていきたいと思っています。まさか世界がこんなふうになるとは思っていなかったけれど。

ところで、がんの告知を受けた日は「セカンドバースデー」というらしい。誕生日おめでとう、わたし。
これからも、のんびりと、しぶとく。

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乳がん告知から5年目、まだホルモン治療は続いています(残り6年)

わたしの乳がんタイプはホルモン受容性があり、再発を抑えるためには女性ホルモンを抑制する必要がある。5年間の注射(リュープリン)と10年間の投薬(タモキシフェン )が、はじめから決まっている。

治療方針が決まった当初、「5年10年の治療方針を話せるのは、その間は生き続けられる前提ということだ」と、わたしは前向きに捉えていた。結果その通りで、もうすぐ告知から5年を迎える。データ上でも乳がんステージ2aの5年生存率は約90%。何年も経って治療を続けるのは、再発率をできるだけ下げるためだ。

告知されたのは2015年だった。直後、抗がん剤、手術、放射線治療を経てホルモン治療を開始。5年間続けるリュープリンは、残り1年間となった。6ヶ月製剤を使っているので、半年に1度だけ下腹部に刺す注射。毎度痛いんだよ、コレ。でも、あと2回だ。やっとここまできた。

抗がん剤に比べれば、副作用は圧倒的に少ない。だから当初は余裕だと思っていたし、実際に、仕事をしたり家事をしたり趣味を楽しんでる。だけれど、乗り物酔いや低気圧頭痛はひどい。年齢のせいかもしれないけれど、病前と変わった身体の変化はいくつもある。副作用として想定された、いわゆる更年期症状はわかりやすく出ている。それでも自分なりに受け入れ、なんとか4年間付き合ってきた。

治療が終われるなら早く終わりたいな、と、ふと思った。終わりが見えた途端、糸が切れそうになった。本当は治療なんてしたくないんだ。どうしてわたしが? と、いまだに思う。

それでも「再発する(リスクが上がる)よりマシ」という意思で通院を続けている。がんである(あった)ことなんて忘れて暮らしたいとも思うけれど、受け入れていくしかない。あと1年間の治療と6年間の治療。まだまだ長いけれど、半分近くまできた。

これからは、誰か1人のためにでもなるよう、過去の自分を救うよう、5年生存を経過した人たちを集めていきたい。

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お知らせ

がんや難病などの患者さんにインタビューを行い「告知から5年」以降の情報を集めるWebメディア、AFTER5(アフターファイブ)というプロジェクトを立ち上げました。

人生会議のポスターについて

人生会議*1というポスターが話題です。わたしもモヤモヤした思いがあるので言語化してみます…… と、書いている途中でどうやら中止*2になったらしい。

この啓蒙で訴えかけようとしている、「自分らしい死に方や死期が近い場合の治療法を考え、家族と相談しよう」という趣旨は、とても共感します。ただそのアプローチが強引で、自分や家族が病や死と近い(と思っている)人たちにとっては不安を煽ったりトラウマを呼び起こすものだし、死とは遠いものだと思っている人たち(たぶんこちらが本来のターゲットなのだと思う)にとっても、もっと先に知るべきことがあるのじゃないか?と考えています。

わたしはがん患者なので、まず、がんという病気について。がんは余命がある程度正しく予測しやすく、最後の治療や死に方を考えられる病気だと思っています。

家族の視点でも同様で、患者本人の望みを聞きやすいし、家族同士の意見も合わせやすい。義父は今年の夏に胆管がんで亡くなりましたが、告知を受けてからの4年ほどは、好きなことをたくさんしていました。何度も家族旅行に行って、治療についても話していたし、お墓も用意していました。いまとなっては本当の気持ちは計り知れないけれど、家族であるわたしたちは「最期まで望みどおりのことができて、おとうさんは幸せだった」と心から思ってます。

人生会議のポスターでは、小藪さんが何の病気(あるいは事故)で、どんな症状かは分かりません。しかし、文面からは死の間際であることは明確で、「酸素の管をつける姿=死」に見えるのが実際かと思います。

これは治療を経て生きる人から見れば、悪趣だなと思います。わたしも術後に酸素マスクつけていたけど、いまは元気に暮らしています。しんどい治療をした人全てが死ぬわけではない。また、いままさに家族の死を受け入れようとしている人とって、不安を煽るものに見えます。わたしは、義父の最期はどう迎えると義父自身や家族が幸せになるかを本気で考えてきたけれど、あのポスターをみて、実は足りない部分があったのだろうか?もっと何かできたのだろうか?と思わざるを得ませんでした。

とはいえ、この企画のターゲットは「死を身近に感じていない元気なひと」なのだろうと思います。そうであるなら、センセーショナルなアプローチの方が情報は届きやすいでしょう。しかし、そういう人たちにとって、仮に情報が届いたとしても、いきなり死に方を考えることを自分ごと化するのはゴールからかけ離れているのではと感じます。

若い(平均寿命から何十歳も離れている)元気な人って、死について自分ごととして考えるのは、あまりに難しいと思っています。少なくとも病気になる前のわたしは、死を本気で考えたことはありませんでした。世間で流行の映画の主人公ががんで死んでも、遠いどこかの話のように感じ、自分とリアルに重なりませんでした。

小藪さんの世代(40代)での死因一位はがんで、以後80代までそれは続きます。また、日本人の2人に1人はがんになります。しかし、どんながん種が多くどんな治療があるか、どんな最後を迎えうるのかはなかなか見えていないと思います。家族も、どんなことをしておくべきか、どうすると後悔しづらいのか、例えば、すでに看取った家族の良かったことや悪かったはまったく分かりません。

これは理想論だけれど、一般的にどういう病で死に至りやすく、その経過はどんなもので、家族はどんな思いになるのか、そこを伝えるところから始まると良いなと思いました。

あらゆる人たちに正しく伝わる企画は難しいけれど、死というセンシティブな話題を扱い以上は、気遣いと覚悟が欲しいなと思います。自戒を込めて。