去年の5月2日、乳がんの告知を受けました。
定期健康診断の乳がん検診オプションで要精密検査となり、その後に行った乳腺外科で針生検を受け、あれよあれよと言う間に宣告されていました。
医師や看護士のようすから、「あ、これは乳がんかもしれないな」と思っていたので、当日は取り乱すこともなく淡々と聞いていました。知識の上で「乳がんは治る」と知っていたし、信念として「病気だったとしても必ず治す」と思っていたからかもしれません。なにより、ずっと夫が一緒に入れくれたことも、冷静でいられた理由だと思います。
去年の5月2日は、ゴールデンウィークの初日でした。病院から帰宅し、「世間は浮かれているのに、わたしは日本で一番不幸かもしれない」と思ったのを覚えています。
でも、抗がん剤、手術、放射線.. と治療を進めるにつれて、その考えは変わりました。
このタイミングで見つかったのは、不幸中の幸いで、検診に行って良かったと心から思います。以下は抗がん剤が終わった直後の投稿。
この1年は怒涛という言葉以外では表せません。告知からわずか1ヶ月後には抗がん剤治療を開始し、1クール目の投与から1週間後には「こんなにしんどいことが6回も続くのか..」と泣きました。そんなときも夫は「だいじょうぶ」と励ましてくれたし、遠方に住む母は投与ごとにお見舞いにきてくれました。
実際、副作用でつらいのは1クールあたり1週間程度で、2クール目からは慣れてきて、生活やメンタルの変化も予想できるようになりました。つらいときは「絶対に負けてたまるか」と何度も思い、元気になったらあれをしようこれをしようとイメージして耐えていました。家族や友だちにもらった手紙を何度も読みました。まわりに支えられて、くじけずに過ごせたと思います。
(実は、ちょうど同時期に、北斗晶さんの乳がんカミングアウトがあり、くじけそうにもなりましたが...)
手術で入院したときは、大腸がんや胃がんの患者さんとも同室になり、「地元の病院で見放されたからここにきたの」という方とも話しました。あのおばちゃん元気にしているかなあ.. 。先生が「抗がん剤によって転移が消えたので手術できますよ(意訳)」というお話が聞こえたときは、わたしも嬉しかったです。
そのおばちゃんは、とてもポジティブな方で「あなたはあと50年は生きないとねえ」と励まされました。同時に、1日、1ヶ月、1年を大事に、一歩ずつ生きていくしかないのだけどね、という話もしました。
今ではすっかり日常が戻り、闘病していたことを忘れるくらい、ふつうに暮らしています(治療は続いていますが)。
あと50回、この記念日を迎えられるように毎日を大切に生きていこうと思います。