おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

人生会議のポスターについて

人生会議*1というポスターが話題です。わたしもモヤモヤした思いがあるので言語化してみます…… と、書いている途中でどうやら中止*2になったらしい。

この啓蒙で訴えかけようとしている、「自分らしい死に方や死期が近い場合の治療法を考え、家族と相談しよう」という趣旨は、とても共感します。ただそのアプローチが強引で、自分や家族が病や死と近い(と思っている)人たちにとっては不安を煽ったりトラウマを呼び起こすものだし、死とは遠いものだと思っている人たち(たぶんこちらが本来のターゲットなのだと思う)にとっても、もっと先に知るべきことがあるのじゃないか?と考えています。

わたしはがん患者なので、まず、がんという病気について。がんは余命がある程度正しく予測しやすく、最後の治療や死に方を考えられる病気だと思っています。

家族の視点でも同様で、患者本人の望みを聞きやすいし、家族同士の意見も合わせやすい。義父は今年の夏に胆管がんで亡くなりましたが、告知を受けてからの4年ほどは、好きなことをたくさんしていました。何度も家族旅行に行って、治療についても話していたし、お墓も用意していました。いまとなっては本当の気持ちは計り知れないけれど、家族であるわたしたちは「最期まで望みどおりのことができて、おとうさんは幸せだった」と心から思ってます。

人生会議のポスターでは、小藪さんが何の病気(あるいは事故)で、どんな症状かは分かりません。しかし、文面からは死の間際であることは明確で、「酸素の管をつける姿=死」に見えるのが実際かと思います。

これは治療を経て生きる人から見れば、悪趣だなと思います。わたしも術後に酸素マスクつけていたけど、いまは元気に暮らしています。しんどい治療をした人全てが死ぬわけではない。また、いままさに家族の死を受け入れようとしている人とって、不安を煽るものに見えます。わたしは、義父の最期はどう迎えると義父自身や家族が幸せになるかを本気で考えてきたけれど、あのポスターをみて、実は足りない部分があったのだろうか?もっと何かできたのだろうか?と思わざるを得ませんでした。

とはいえ、この企画のターゲットは「死を身近に感じていない元気なひと」なのだろうと思います。そうであるなら、センセーショナルなアプローチの方が情報は届きやすいでしょう。しかし、そういう人たちにとって、仮に情報が届いたとしても、いきなり死に方を考えることを自分ごと化するのはゴールからかけ離れているのではと感じます。

若い(平均寿命から何十歳も離れている)元気な人って、死について自分ごととして考えるのは、あまりに難しいと思っています。少なくとも病気になる前のわたしは、死を本気で考えたことはありませんでした。世間で流行の映画の主人公ががんで死んでも、遠いどこかの話のように感じ、自分とリアルに重なりませんでした。

小藪さんの世代(40代)での死因一位はがんで、以後80代までそれは続きます。また、日本人の2人に1人はがんになります。しかし、どんながん種が多くどんな治療があるか、どんな最後を迎えうるのかはなかなか見えていないと思います。家族も、どんなことをしておくべきか、どうすると後悔しづらいのか、例えば、すでに看取った家族の良かったことや悪かったはまったく分かりません。

これは理想論だけれど、一般的にどういう病で死に至りやすく、その経過はどんなもので、家族はどんな思いになるのか、そこを伝えるところから始まると良いなと思いました。

あらゆる人たちに正しく伝わる企画は難しいけれど、死というセンシティブな話題を扱い以上は、気遣いと覚悟が欲しいなと思います。自戒を込めて。